ホーム 定期教室 個人指導 グループ指導 はじめての方へ 整体ヨーガ通信 ブログ
体験談 教室日程表 アクセス プロフィール 申込・お問い合せ 料金・お買い物 おすすめ
<講師:谷口 淳(たにぐち じゅん)> 
1969年生まれ。所沢市在住。「整体ヨーガの会」主宰。
整体師。日本ヨーガ療法学会認定ヨーガ教師、ヨーガ療法士。
インド中央政府公認ヨーガ゙・インストラクター、ヨーガ・セラピスト。
NPO法人氣道協会会員。NPO法人気功協会会員。

*インド中央政府、科学技術省公認ヨーガ・セラピー研究財団である「スワミヴィヴェーカナンダ・ヨーガ研究財団(VYASA)」の教育課程「ヨーガ教師養成講座(YIC)」、「ヨーガ療法士養成講座(YTIC)」修了。
元市役所勤務。当時は障がい者のケースワーカー、健康づくり研究プロジェクト等に従事。
一女(2歳)の父(子育て奮闘中!)。


 
< 自治体講座実績 >
・小平市中央公民館主催 シルバー大学講師
・小平市体育課主催連続講座
・府中市家庭支援センター職員研修講座
・武蔵村山市主催公民館連続講座  他多数


< 経歴 >
運動科学総合研究所にて、ゆる体操・DSトレーニング・武術・気功・呼吸法・身体調整を学ぶ。東京療術学院にて解剖生理学、東洋医学、各種整体法を学ぶ。その他赤ひげ塾バランス活性療法・ごしんじょう療法・フォーカシング、気功など。(極真空手初段。陸上競技中長距離走)
氣道協会、長谷川浄潤先生に野口整体を原型とした療術、現代心理療法等を学ぶ。
2005年にヨーガの世界へ足を踏み入れる。その後夢中でヨーガを学び、2012年夏にヨーガ療法学会認定ヨーガ療法士となる。


< 好きな人物 >
パラマハンサ・ヨガナンダ、ラマナ・マハリシ、ヴィヴェーカナンダ、クリシュナムルティ、野口晴哉、司馬遼太郎 など。


< 好きなもの・こと >
ヨーガ行、整体稽古、読書(ヨーガ、整体の本全般。心と体に関する本全般。医療系、スポーツ系、東洋医学体育系、心理療法系など様々)
散歩、自然の多いところ、温泉、旅行、カフェ(コーヒーの香り、クラシックの素敵な音楽があれば、言うことなし!)など。
食べ物は嫌いなものはあまりなく、ビール、ワイン、日本酒、フレッシュ野菜ジュース、スイカ、コーヒーなどが特に好き。


< 大切なもの >
家族、仕事


< 好きな言葉 >
「全生」「楽々悠々」「息深く心閑(しず)かに」(野口晴哉氏)
「世の中は今、此処(ここ)より他はなかりけり」「一日一生」


< 一言 >
人間の生命力の素晴らしさ、どんな人でも良くなっていける可能性を心や体はもっています。その可能性、素晴らしさを多くの方と共有したい。じっと座っているだけで、息を吸うだけで、歩くだけで、幸せと感じられる心身を、一緒に目指しましょう。


ここからはもう少し詳しい自己紹介です。皆様が指導を受ける際、講師の人となりを知ってからの方が安心されるのでは、また私の体験が少しでもお役に立てれば、との思いから載せることとしました。長い文章ですので、ご興味のある方はお読みください。
Q1.なぜ、公務員を辞めて、この仕事に就いたのですか?
Q2.交通事故に遭ったそうですが?
Q3.空手をやっていたと聞きましたが?
Q4.「死」を意識した経験があるそうですが?
Q5.挫折の経験は?
Q6.ヨーガとの出会い、野口整体との出会いを教えてください。
Q7.実は永ちゃん(矢沢永吉)ファンだとか?
おまけ:アシスタント(妻)から見た姿

Q1.なぜ、公務員を辞めて、この仕事に就いたのですか?
A.大学の頃から、中学で始めた空手で食べていこうと思っていて、「お勤め」するつもりはなかったけれど、ある事情で空手を中断せざるを得なくなり、かといって民間企業は行く気がなく、市役所の職員になりました。3つの部署で仕事しましたが、障がい者のケースワーカーは、やってみたらやりがいのある仕事で、とても勉強になりました。貴重な経験をしたと思っています。

20代後半から体をゆるめることを習い始め、それにより体調・心が変わってきた。ずっと悩まされていた頭痛、腰痛、首痛が良くなっただけでなく、自分の心を客観視するのが可能になったのか、お酒も以前より飲みすぎないようになりました。(以前はたいそう飲んでいました。)それから、それを仕事として、プロとしてやっていきたい、と思うようになりました。仕事のある日はもちろん、休みの日は1日中稽古をしていました。それが今にも生きています。当時の先生にも本当に感謝です。

思えば、10代の頃から、車の種類や芸能人の名前はちっとも覚えないのに、なぜか整体院とか整骨院の場所は、すぐ覚えてしまいました。それに20代前半、腰を痛めて靴下さえ履けない時も、本屋で整体の本を探して、そこに行き、治しました。「病院へ行く」という発想自体が、不思議なことに全くなかった。更に、受験勉強の時、図書館に行っても参考書ではなく、健康雑誌を読んでいた、というほど。潜在意識はこの仕事が向いている、と知っていたようです。

けれども、当時はまだ人に対してフォローしよう、仕事にしよう、とは思わなかったのです。(今でもですが、前はもっと)我が強く自分のことだけしか、考えていなかったのかもしれません。その時は自分の進むべき道を歩んでいなかったのでしょう、何をするにも「アクセル、ブレーキ」の連続で、空手の稽古をしては、ケガをしたり、常に前に行きたいのに、ストップがかかる、という状態でした。当時、人生が苦しかった。今は違います。まるで別の人生を送っているようです。自分の道を進んでいないと、そうなるのかもしれません。


Q2.交通事故に遭ったそうですが?
A.小学校5年生の時、バイクにぶつかり肘にヒビ、後頭部を強打、3週間入院。それからは足が遅くなりました。小さい頃から駆けっこが得意で、ただ走っているだけで、だんとつ一位だったのに、事故の後から、一生懸命練習をして何とか、というくらいになりました。そして万年頭痛に。O脚も事故の影響でしょう。(今でもその名残で、よく見ると10円ハゲがあります。それを見てある整体の先生から「死ななくてよかったね」と言われました。そこは急所中の急所、命が助かっただけよかったのかもしれません。)

当時は走るのが大好きで、マラソンの瀬古選手に憧れ、自分も箱根駅伝に出て、オリンピックに出よう、と思っていました。また野球も大好きで、チームに所属していないのに、よくホームランを打ってました。マラソン選手でなければ、ジャイアンツに入り、プロ野球選手になろう、と夢見ていました。(小学生の頃は、プロ野球12球団、2軍選手まで知っていました。)

思えば、今に通ずることも。野球の練習では、新聞紙をガムテープで丸め、ひたすらTバッティングの一人練習。マラソンも休み時間は校庭を駆け回り、家に帰ってからは走りに出かけていたほど、練習好き。一人でコツコツ練習するのが好きだったようです。また相撲も強く、学年で2番目(巨体の彼には勝てなかった・・)。7才位の時、5つ年上の兄を相手に108回勝負を挑むほど、(107回は負け、最後に勝ちました・・・が、しょうがなく勝たせたのでしょうね)大人しいけれど、負けん気が強い子でした。(野口整体でいう、体癖の9種が色濃いようです。集中力が強く、ギュッと凝縮するエネルギーを持つという・・・集団行動は向いていませんが。)

そんなスポーツ少年でしたが、交通事故から、何かが変わりました。当たり前に速かった足が遅くなったり、頭痛がしたり・・・けれどもそれがよいか悪いか?それはわかりません。もしそのまま順調に陸上選手になっていたら、今の仕事をしていなかったかもしれません。ただ人生の一つの転機になったことは確かです。


Q3.空手をやっていたと聞きましたが?
A.中学で「空手バカ一代」など大山倍達先生の本を読み、空手を始めました。事故後の頭痛も、空手をやり始めてよくなりました。ストレッチなどもやって血流がよくなったせいもあるのでしょう。とにかく稽古稽古、そして肋骨も6回は折ったでしょうか。それでも試合に出たい、肋骨を折っていても戦える。大丈夫なんだ、できるんだ、と自信を持ちました。口で言うのは簡単ですが、それを体で知ったのは、大きかったと思います。今でも、何か体に不調があっても、「自分でどうにかできる」という確信があるのは、この経験があったからかもしれません。

とにかく「空手バカ一代」他、大山培達先生が書いた本はよく読みました。学生時代、他に特に何もしないのに、国語の点数が良かったのは、夢中で著書(けっこう難しい文章も多かった)を読んでいたからだと思います。夢中になれるものを持てたのは、いいことだったと思います。高1の頃、稽古後、大山倍達先生が私の肩をたたき、手を握ってくれ「君は真面目だね。頑張りたまえ。」と声をかけてもらったのを今でもよく覚えています。とてもうれしかった。極真空手からは、「やれば出来るんだ」という意識と、「強くなりたければ、人の2倍3倍稽古しろ」ということを学びました。これがどこかしら私の潜在意識に入っているみたいで、どん底の時も、どこかで「何とかなる」という気持ちがあり、ギリギリで踏みとどまれたような気がします。

とはいえ、その後黒帯までとり、これで生きていこうと思ったものの、そうはいきませんでした。ある事情で空手ができなくなったのですが、今から思うと、どこかで殴り合いがイヤになったのだと思います。体を動かすことを通して、自分の内側に意識を向けること。(その時はわかりませんでしたが)これをしたかったのだと思うのですが、やはり「やるかやられるか」の勝負ですし、結局自分のいる世界ではなかったのだと思います。すぐにヨーガや野口整体に出会えればよかったのだと思いますが、まだそれからも人生の暗い時期を過ごすことに・・・。


Q4.「死」を意識した経験があるそうですが?
A.転職後しばらくして、大きな血痰が出るようになりました。それから体調を崩していたものの、なかなか病院に行かなかったのですが、母から「死んだおばあちゃんが5日連続で、夢枕に出て、病院へ連れて行けと言っている」と聞き、慶応病院を受診。(母には体の変調について何も言っておらず、しかも私はおばあちゃん子でした。)レントゲン写真をとると両肺に五ヶ所影があり、肺ガンか結核の疑いで、閉鎖病棟へ緊急入院しました。入院前夜に異常な発汗(バスタオルが数枚ビショビショになるほど)、これが数日間続きました。しかし大量発汗が幸いしたのか、不思議なことにいくつもの精密検査にても原因見つからず。免疫もよい状態。結局最後まで原因わからず、影は少なくなり、2週間で無事退院。入院前は一日一日と痰が食道をふさぎ、食物が入らないほど弱りきった状態だったため、お医者さんも私自身も??? 不思議なことがあるものです。

この時の原因不明の病で入院した経験は、その後の人生に大きな影響を与えました。「死」を意識したことで、様々なことを考え、今まで気づかなかったことに気づきました。「人は必ず死ぬ」ということが、遠い先ではなく、今日、明日にでも現実になるかもしれない、と実感として感じられました。それと同時に、「人には良くなる力がある」ことを教えてくれる、強烈な体験でした。またこの時、半分は死ぬかなと思ったものですから、子どもを授かり、家族で幸せに暮らしたい。だからもっと生きたい、と天に祈ったのを覚えています。死をいつ迎えるかは誰にもわからないことですが、その時は「笑顔で」死にたいものです。


Q5.挫折の経験は?
A.30代半ば、「これだ」と人生をかけ、全力を注いでいた目標がなくなり、喪失感、苦悩の日々が続きました。それと同時に、どこか少し身が軽くなったような感覚もあったのですが、それよりも絶望が大きく、目標を見失う茫然自失の日を過ごしていました。そんな中、なぜか年末の休日、ゴミ拾いをしに早朝、妻と一緒に散歩をしました。

朝の空気、ゴミを拾った時の爽快感。ゴミを拾い、少しでも世間の役に立った、という気持ち。今でも覚えています。そんな中、「ありがとう」と声をかけられ、とても嬉しかった・・・。それほど自信を喪失していたのですね。ただ、ゴミを拾っただけなのに、それで自分の価値を見出しました。ゴミ拾いで自己の尊厳が取り戻せる、そんなかけがえのない、人生の転機となる体験でした。目標に向かっている時は、自分のことしか考えていなかったけれど、人のためになる喜びを教えてくれたのだと思います。(明るい希望をもって生きることはとても大切ですが、目標にとらわれすぎると人間は利己的、残酷になるのですね。そんなことを学びました。)


Q6.ヨーガとの出会い、野口整体との出会いを教えてください。
A.ヨーガとは、知り合いのヨーガ教師が開いた九州での合宿で、初めて出会いました。それまで何の知識もなかったのですが、瞑想がたいへん心地よく、とても落ち着きました。魂が安らぐ感じがし、深く静かな感動を覚えました。体をゆるめる心地よさとは深さ、安らぎのレベルが違いました。マントラを皆で唱えた時も、背筋がゾクゾクして「これが自分の場所だ」と思いました。それはヨーガ療法を学ぶ講習第1回目の時も同様で、最初の祈りの時に身震いをしました。

野口整体、故・野口晴哉先生については、初めての出会いを記憶していないほど、昔から知っていました。20才位の時にはすでに知っていたのですが、いつからだかは覚えていません。本を読んだこともなく、具体的に知らなかったと思うのですが、とんでもない天才と認識していました。そして30代の頃、ある東洋医学の勉強会で、子育てや整体の知識として、野口先生の紹介がありました。そして初めて野口先生の設立した整体協会の道場に足を踏み入れた時、深い感動を覚えました。「ここで稽古をしていたんだ・・」という甲子園に来た野球少年のような、新鮮な感動。野口先生の息吹が聞こえてくるような、懐の深い、人間愛を感じるような、そんな体験でした。整体については、現在の師長谷川浄潤先生と、横浜で初めてお会いした時も、「これから始まる」という思いで、身震いしました。この身震いというのは、何かのサインなのかもしれません。


Q7.実は永ちゃん(矢沢永吉)ファンだとか?
A.そのとおり!何をかくそう、中学からのファンです。彼の著書「成りあがり」は、高校時代のバイブルでした。環境のせいにせず頑張ること、努力の大切さ・・・口で言うのは簡単ですが、実際に行動するのは、なかなか難しいこと。それでも何があってもあきらめない、倒れるのだったら前のめりで、というガッツは、非常に大きな影響を受けました。今では、なかなかCDを聴くこともできませんが、60歳を過ぎても現役でひた走る姿は、かっこいいと思います。若い頃以上にいいお顔をしていますよね。永ちゃんは劣等性のヒーローです。私も死ぬまで現役でいたいです。(野口先生も、亡くなる1週間前まで道場で指導され、床に伏されてからも、ご子息などお弟子さんに手あてをさせては、うまくできると「ウン」とうなずき、ダメな時は「ビシッ」と手をはたいたそうです。ウーム、カッコイイ・・。)


おまけ:アシスタント(妻)から見た姿
コンピュータなどIT関係が苦手(というか嫌い)の、アナログ人間です。休みのときも、整体や心理学、自然療法や体の本、ヨガの本などを手放しません。(我が家は夫婦の本、娘の絵本と、出かける時ものすごい量の本を持参する、「歩く図書館」になります。) それだけでなく、いつもヨガのこと、整体のこと、など考えているようです。加えて、仕事以外のことを話しても、右から左・・・あまり記憶に残りません。(芸能人の名前も、90年代からあまり更新されておらず、「藤原紀香」くらいで止まっています。でも「宮崎あおい」は更新されました。)「仕事大好き人間」を通り越し、「仕事=人生」。ここまでくるのに、いろいろ紆余曲折ありましたが、今の仕事は正に天職だと、自他共に認めています。「この仕事に巡りあって幸せ」「なんてやりがいのある仕事だろう」と、いつもつぶやくほど。それは何より、会に参加・応援してくださる皆さんあってこそ。夫婦ともども精進いたしますので、これからもよろしくお願いいたします。



   
 
Copyright(c)2010 整体ヨーガの会 All rights reserved. .